メモ
まとめ へたしてポエム 未完成 編集中
「ソハヤさん、あすなろの樹というのをご存知ですか」
「何だそりゃ」
「この本丸にも生えてますよ。畑向こうの山に差し掛かるあたり、鬱蒼と生えている灰褐色の高い樹がそうです。あのあたりにはふっくりとしたいい実をつける桑があって」
「それはお前の兄弟、から聞いたのかい」
「ええ、そうなんです。はい。山のこと、あの人は滅法詳しいから」
あすなろという名前は、と堀川国広は語った。
「翌檜、とか明日檜って書くんです。明日はひのきになろう、という意味なんだそうです」
何だそりゃ、とソハヤは呟く。
「ですよね。何だよ、って思いますよね。あすなろの樹は、彼自身の葉っぱも幹も根も持っているのに、彼はあすなろそれそのものであるのに、ひのきを夢見るよう義務づけられてしまうんです。ひのきになりたいなんて思っていないかもしれないのに。あすなろの名前にはひのきがちらついている」
堀川国広は青い目をしている。おもむろにソハヤの方を振り返ったその瞳が印象的に光ったせいで、ソハヤの脳裏に堀川の印象は青く刻まれる。
「それって、なんだか似ています」
「何にだ」
「僕の兄弟に。それとあなたに。本物を夢見るように作られた本物、明日はそれになろうという夢を強いられているもの」
「本当にそうか?お前の兄弟は山姥切を夢見てなんかいそうにない。寧ろ本科から離れた自分だけの物語を作ろうと苦しんでいる所じゃないか」
静かに異を唱えるソハヤに堀川は首を振る。
「そうあれと決めたのは人間ですから」
アブラカタブラです。「かくあれ」と唱えるのはいつだって人間です。
「平成の世になって三日月さんの生ぶの姿を復元しようと刀が打たれた話はご存知ですか。その刀を見た方々は果たしてその刀に何を見たのでしょうか。その姿、刃文が現存する本物の三日月さんとどう同じか、どう違うかを見ることなく、ただそれ一振りの刀をそこに見たでしょうか。機械で折り畳まれた何百重の玉鋼よりも複雑なまぼろしの層を着ている三日月宗近生ぶの写しさんにはどのくらいで付喪神が宿ると思いますか」
堀川国広が贋作であるかもしれないことをソハヤは彼自身から聞いて知っている。彼が兄弟と呼び慕う二人の刀と本当はそうではないかもしれないことを知っている。
「でも僕は確かに土方歳三が和泉守兼定と一緒に腰に差していた脇差なんだ。そのように人間がしたのでここにいる。それが僕です」
そして僕はこのようにして人の身体をもらいました。だから僕たちがそうであれと思って兄弟になってもいいと思いませんか。アブラカタブラ。面白いですよね。堀川国広の瞳は青い。
鶴丸国永とは墓入り仲間である。奇妙な話だが。出会いばなに大典太光世を泣かせたことがあるが、小器用ないい奴だとソハヤは認識している。
「死体は死にたてに限る」
そんなブラックジョークなど言うこともある。白い見た目のくせに。
「そうは思わないかい。死にたての死体はまだ血も出るし肉も柔らかい。温もりだってある」
「そんなに死にたてほやほやの話とは思わなかったぜ」
「まだ喋るんじゃないか、起き上がって俺を振るうんじゃないかという希望がある。人間の姿になって思ったがあれは痛みかけの桃を一番美味いと感じるのに似ている。落陽の赤に似ている」
白い見た目で様々な色を語るものだとソハヤは思う。それでも彼の印象はあくまで強烈なほどに白い。
小狐丸という刀があった。やたら大柄で髪の長い威風堂々たる太刀だ。狐と人とが一緒になって作ったというからハーフみたいなものだろうか。
戦いぶりがやたらと派手だ。華美な動きは麗しいが、より速く鋭く斬ろうとするならば大げさな動きは少しでも排すべきである。ソハヤは「騒速(そはや)」の写しであるので、尚更そう思われた。
だがそう話してみたら小狐丸は「私はこれでよいのです」と目を細めて返事をした。
「舞台と唄に住まう私のこれこそが物語というもの。それにこれ以外の所作を知りませぬ」
鳴狐という刀がこの太刀にひどく入れ込んでいるのをソハヤはしばらく経ってから知る。
長らく箱入りだったことも特に気にしていないようだし、歴代の主へ親愛こそあれ執着をこれっぽっちも感じさせない淡白なようすの少年は、その好奇心の半分よりもっとを小狐丸に向けていた。一挙一動が面白いとみえて隙あらばかの男を観察している。
なぜ彼が気になるのかと聞けば「狐だから」と低い声で言った。
「鳴狐は狐と名のつく相手になら縁もゆかりもなかろうと共感してしまうのでございます。まして相手は稲荷神を親と生まれた小狐丸様。刀のうちであのお方ほど狐に近しいお方がおられましょうや」
ソハヤは肩の狐が甲高い声で喋りだしたことにまず驚いて割合内容どころではなかった。
「それだけで?もし狐じゃなかったら、お前はあいつが気にならないってことか?」
「狐じゃないなら、それは小狐丸じゃない」
ソハヤは考える。自分が写しじゃなかったらそれは俺ではないのだろうか。難しいので、明るくおおらかなふうに「なるほどなあ」と相槌を打つ。
彼は知っているだろうか、自分の兄弟である大典太光世が同じ理由でお前が好きな相手を気に食わないと思っているらしいことを。
「気に食わないわけではない。気にかかると言っているだけだ」
部屋で今日会った少年の話をすればむっすりとした声で光世は答える。彼はソハヤよりほんの少しだけ早く顕現していたので、微々たる差ではあるのだがその分だけ本丸の皆とも顔が馴染んでいる。鳴狐とは特に近しくもないと彼は言うが光世が使っている引出しの上のオーディオに入っているCDはかの打刀から借りてきたラウドロックのベストアルバムだ。
「鳴狐は音楽の趣味がいい」
「そこはよくわからねえけど、もう少し音量は下げてほしいと思ってるぜ、俺は」
ソハヤはまだヘッドホンという道具の存在を知らないがなにかそういうものが必要だという強い直感は心に抱えていた。
卓袱台の上に開けた袋からキャラメルがけのポップコーンをつまんで頬の内側へしまい込むようにそっと口に含み、しばらく味わってから光世が重々しく言った。つまりいつもの口調だが。
「前田家での俺の話は前にしただろう」
「短刀が可愛かった話か?」
「豪姫の病の折に俺が貸されていった話だ」
ああとソハヤは合点をする。
「あの病は狐が悪さをしたものだといわれていた。憤った秀吉が伏見稲荷に脅しの手紙まで書いたというな。狐が憑くという病は多くある。そのせいか俺にはみょうにあの男がきな臭く思える」
召喚された刀剣として主人を疑うわけではないが存在しないものを物語から引っぱりだしてきたというのも気にかかる話だ。哲学の話に近いようにも思われる。
「小狐丸は悪い奴ではない。のだろうな。ただ俺にとって狐というものは獣よりも病源に近いのかもしれない。惑わされるだろう。油断ならない」
ソハヤは考え込む。俺とあいつは眉の形が似ていると思うんだが、兄弟は気になるかい。とか聞いてしまいそうになり、やめる。
「鳴狐には言わないでおいてくれ」
「言わねえよ。ところで、あいつの肩の狐はなんとも思わないのか」
光世はじっと黙り込んで、何事か考えているようだったが見た目にあわれなのでむしろいいのかもしれなかった。
「あいつとは気が合う気がするんだ。同じものを斬った仲かもしれないし」
それはどこか羨ましいようにソハヤには思われてならない。
存在しない刀。
焼け落ちたはずの刃。
そんなのばかりが人の肉を着せられて楽しそうにうろついている。
「なんだこりゃ」
まるで化け物屋敷じゃないか。ソハヤの喉の内側を冷たい唾液が滑り落ちてゆく。
「勲を挙げてみせます」と主にこうべを垂れた短刀は兄弟の古馴染みだというのでソハヤも気に入っている。
見た目には幼く振る舞いも無邪気なものばかりだが短刀はみなふとした瞬間に老獪な顔をしてただ見た目通りの子どもでないことをあたりに悟らせた。
「僕らは歴史の傷口を縫い止める糸みたいなものです。傷口が塞がれば抜糸されて、糸は残りません。狂おしいほど焦がれた歴史に、人の身を得てより成した僕らの偉業が書き残されることはついぞありません」
ここで生み出すことが出来る物語なんてものは霞より儚いだろうと前田藤四郎は語る。
「でも僕らはもうここへ呼ばれて来てしまった。この人のまがいものの身体と鉄生まれのきんきらの魂で何かをするほかありません」
「お前相手なら怪我を負わせることもないだろう」
大典太光世がほっとしたように呟くのを聞いて、ソハヤノツルキも内心ひどく安堵する。
自分は少なくとも騒速(そはや)の写しで、三池典太光世の作であり、この男の兄弟だ。拠り所があり、実在し、物語を背負っている。その物語のせいでしまい込まれたとしても。
「お前は自由な男だ」
光世が夢見るように言う。俺なんかしまい込まれっぱなしの写しだぜと戯けてソハヤが返すと、しまい込まれっぱなしなら俺だって同じだ、と柔らかく自嘲を投げ返してくる。